【浸透】心に深く刺さった言葉:きっと仕事や人生が楽しくなる

生き方

みなさんこんにちは F君です

人の人生はそれぞれですね。改めて最近思いました。過去は変えられないけど、過去の自分が今の自分を作り上げた。

自分に影響を与えた人物は少なからず、人それぞれいるのではないか?と思います。

実際に出合ってきた人の中にそういうキーポイントになる人物がいた人もいれば、本を読んで感銘を受けた人もいるでしょう。

それでもいなければ、この記事がきっかけになるかもしれませんね!ぜひ最後まで読んでみてください。特に最後の言葉が忘れられません。

今回はF君の独断ですが、「素晴らしいな」と思う言葉を紹介していきます。

「『そんなバカな事はできない』と誰もが思う事ならば、競争相手はほとんどいない」

Google”創業者である【ラリー・ペイジ】の言葉です。

もともと両親がともに大学でコンピューターの講義を受け持っていたのがきっかけで、ペイジはなんと6歳からパソコンをさわり始めたみたいです。

ミシガン大学でコンピューター・サイエンスを専攻した後にスタンフォード大学へ進学し、博士号を取得。

2009年5月2日、ミシガン大学の卒業式でスピーチを行う。その時のスピーチがこれです。

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「途方もない夢でも実現へと前進させることは意外とたやすい」と言い、その理由を説明。「人類が使うすべての情報を集め整理するとどうなるだろう?」

この素朴で途方もない問いを自分に突きつけた結果、いつもお世話になってるGoogleが誕生しました。

F君
F君

これはたまらん言葉やね。そらそうやねんけどって思った。

でも、確かにメチャクチャシンプル!

スケール感は違うけど、そういう気持ちで挑んでいけばなんでもやってみる価値はあるよなって純粋におもえた。

「先を見通して点をつなぐことはできない。振り返ってつなぐことしかできない。だから将来何らかの形で点がつながると信じなければならない」

Apple”創業者である【スティーブ・ジョブズ】の言葉です。

ジョブズは幼くしてエレクトロニクスに開眼したが、かなり寄り道をしていたようです。

リード大学へ進学したジョブズは半年で辞めてしまいましたが、そのまま大学の寮に住みついてヒッピー同然の生活をします。

そして、コンピューターとは全く異なる分野である哲学や文字芸術の講義にだけ顔をだしてました。

しかし、この時に「禅と瞑想」にのめり込んだジョブズは、当時うるさかったパソコンのファンの音こそが集中の妨げになるとし、「静かなパソコン」の開発に取り組みます。

また、文字芸術の講義で、文字間のスペースによって印刷物がいかに映えるかを学んでいたため、それがマッキントッシュの設計で生かされます。

いずれにしても、これまで誰も思いつかなかった視点による改善になりました。

ジョブズの残した言葉は色々ありますが、冒頭の言葉はスタンフォード大学での卒業祝賀スピーチで話した言葉で、自分自身の経験が人生のどのタイミングでどんな形で実を結んでいくかは分からないという事。

F君
F君

一見繋がっていないように思う道でもつながるかどうか?は自分次第だと自信と確信を得られた言葉。過去を振り返っても何も変わらない。下手したら反省ばかり出る、もったいない時間かも。

将来の事はまだ決まってないから自分次第でいくらでも変えられる。将来は明るい

「あたまは低く、アンテナは高く」

味の素”創業者である【鈴木 三郎助】の言葉です。

9歳で父を亡くした三郎助は、18歳の時に母が切り盛りしていた穀物と酒類の小売店を継ぎます。

一時は米相場への投機が過熱し身を滅ぼします。しかしその後、母のヨード(ヨウ素)製造を手伝い、少しずつのめり込んでいきます。

1908年、三郎助は東京帝国大学の池田菊苗教授と特許を共有し、世界初「グルタミン酸ナトリウム」の商品化に成功!これが「味の素」です。

作家の太宰治をして「絶対に確信を持てるのは味の素だけなんだ」と言わしめるほどの人気商品になりました。

かつてない調味料をこの世に生み出し、日本の食卓を変えた 鈴木 三郎助 の言葉が冒頭の 「あたまは低く、アンテナは高く」 です。

三郎助亡きあと、社名は「味の素」に変更され、一大食品グループへと拡大していきます。

F君
F君

これはある意味 日本人 の一番良い所でもあるなと。

そうあるべきやなと思えたのは自分のおじいちゃんをみて思ったな。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言う言葉に似た印象を受けました。

「人生に満塁ホームランはない。ゴロやバントを狙え」

“日本マクドナルド”創業者である【藤田 田】の言葉です。

デフレ下の環境でも次々と対策を打ち出して苦境から打開させた人です。

1994年のバリューセット戦略、2000年のハンバーガー平日半額セールなどデフレ環境を逆手に取った経営戦略です。

価格を大幅に下げながらも利益を拡大させる事が出来たのは藤田が徹底してコストカットを行ったから。サプライヤーの工場を細部まで視察させ、改善のアイデアを出し、仕入れコストを劇的に削減する。

精度の高いマーケティング戦略を実践し、どの地域に出店すればどのくらいの売り上げがたつか?を正確に予測していたようです。

地道な経営努力が大きな利益につながる事を熟知していた 藤田 田 の言葉の一つです。

F君
F君

マクドは日頃からお世話になってます。

大手だからとあぐらをかかず、細かい事をやっているから今がある。

上手くいく人ほど 人がやりたくないめんどくさい事をやってるんやなと考えさせられる一言

「君の年をもらえらば、俺のこれしきの財産など少しも惜しくはない」

“大倉財閥”創立者である【大倉 喜八郎】の言葉です。

大倉 喜八郎は1837年、新潟県にうまれた “大倉財閥”創立者 です。あまりピンとこない人もいるかもしれませんが、17歳で江戸に出ると、かつお節店員や乾物店主として商才を発揮し、30歳で鉄砲店の大倉屋を開業。

明治維新後は欧米の商業に学びながら1873年に大倉組商会を設立。その後 世界を股にかける貿易省として活躍します。

さらに建設・土木業への進出も果たし、大倉財閥を築きました。

「帝国ホテル」「帝国劇場」「日精精油」「あいおい損害保険」など大倉が創立に携わった企業は数えられない位あるようですね。

山下汽船を興した山下 亀三郎が事業に失敗し大倉に借金を申し込みに行ったところ、その豪勢な暮らしぶりに「俺も一生に一度、大倉さんのような生活がしたい」とポロっとこぼします。

すると「ほしければ私の全財産を君にあげよう。そのかわり、君からもらいたいものがある」と言って、この言葉を続けたそうです。

当時 山下は42歳で大倉より30歳も若かった。

F君
F君

これ読んだ時に、ほんまに若さに勝もの無しやなと思った。

マジで今日が人生で一番若い日や!

今日の年齢は明日には無くなってる。

とにかくやり始めるしかない!

「人間ボヤっとしてる所がええんやで」

F君の祖父の言葉です。

これは、何歳の時やったかな?おそらく30代前半くらいの時、おじいちゃんにふと今のF君をどう見てるのかな?どう見えるのかな?と思って、「今の俺どう?男として」と聞いてみた。

するとお爺ちゃんは「ええ男やで。家族をもって立派なもんや」と言ってくれた。ただ、F君が聞きたい内容と違ったので、「爺ちゃん。そういうのじゃなくて 人間として、男としてやねん」と、もう一度聞いた。

すると、60秒ほど黙って(もともと寡黙な人なんです) 「人間ボヤっとしてる所がええんやで」 と言われた。

当時F君は仕事においてもプライベートにおいても結構”完璧主義”になってしまっていた。家庭も問題ないし、会社の仕事も上手くいきすぎていて、少し冷静に見てほしかった時のこの言葉は刺さりまくったな。

「人間としてなんでも完璧を目指しているようじゃまだまだ青いな 。人へ完璧さを求めるのではなくボヤっと曖昧な所を許せてこそ良い男」

そんな事を言われてしまい。有難さと恥ずかしさに一気に襲われた記憶があります。

F君
F君

そんなに毎日会わないのに、この1分あるかないかでそこまで見透かされるのか。

俺って浅すぎるな。まぁこんな質問してるようじゃあかんねやろなって感じでした。

言葉からの影響

言葉って不思議ですよね。言葉を使って生活している以上 ものすごく大事ではあるんですが、誰がその言葉を言っているか?がとても重要ですね。

F君の場合は祖父の言葉が一番深く刺さってます。

そういう自分に深く刺さった言葉はこらからも裏切りたくないですね。

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